アル中についての私感 そして思い出と後悔

昨日、フェイスブックにこんな投稿をしたのです。

ストロングゼロって、飲んだ事あると思うけれど、

私的には、別に酔っ払わないし、

だからと言って美味しいわけでも無いので、

あえて選んで無かった種類のお酒なのよね。

缶酎ハイ自体、そんなに好きでは無いので、

こんな風にアル中になりやすいお酒と言われると、

えーーーそうなの?

って逆に思うけれど。

アル中って言葉を聞くと、

いつも思い出すのが、同期の母。

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新入社員として働き出した頃、

同期の中に地元も割と近いSちゃんが居た。

 

Sちゃんは、おとなしい雰囲気の中にも、

キラっと光るお笑いセンスがあって、

割と楽しい子だった。

 

一緒に飲み行ったりしていて、仲良くしてもらっていた。

 

Sちゃんは若干複雑な家庭環境にある子で、

父が数年前に失踪し、母と二人暮し。

その母はアル中という。

形容し難い闇を抱えているようだった。

 

母がアル中になったのは、

父の失踪が原因らしかったが、

それ以上は、一人娘であるSちゃんにも解らないようだった。

 

私が勤めていたのは中くらいの総合病院で、

入職して初めての夏にSちゃんの母が入院してきたのだった。

病名は「アルコール性肝硬変」だったと思う。

 

Sちゃんの母は、Sちゃんのおとなしい優しい雰囲気とは真逆で、

派手なおばさんだった。

病棟で、様々な問題を起こす問題患者でもあった。

些細な事で、すぐに怒って喧嘩してしまうのは、

今思うと、病気のせいだったかも知れない。

 

職員食堂で師長さんに呼び止められて、

なにやら文句を言われるSちゃんを見ては、

こんな所で、言わなくて良いのに!

と、イライラしたのを覚えている。

 

そういう正義感の無駄使いは、

昔から今も変わって居ない。

我ながら歯がゆいとしか言いようが無い。

 

Sちゃんの母は、その後入退院を繰り返し、

4回目の入院で、他界したのだった。

 

Sちゃん母は、死ぬ前はほとんど酒を飲んで居なかったらしいが、

母が家に居ない時に部屋の片付けをすると、

ビールとか缶酎ハイの缶が部屋の中のいろんな所から出てきて、

知らない間に少し飲んでいたそうだ。

 

私のアル中のイメージは、

ウイスキーをたくさん飲む人だった。

自分がビールや酎ハイでは酔わない為、

強い酒で中毒になると思っていたのだ。

 

しかし、Sちゃん母は、

ビールや酎ハイでアル中になっていた。

 

そこで、まあまあ間違いかも知れない、

私のアル中の定義が生まれたのだ。

 

①アル中になるひとは、元はアルコールに弱い

②ちょっと飲んだだけで気持ちよくなる

 

なんの根拠も無いが、そう思ったのです。

 

何故ならば、

 

①私はお酒に強くて酔わない

②酔わないから気持ちよくならない
むしろ飲み過ぎると気持ち悪くなる

 

からです。

 

Sちゃんの母が死ぬ直前、

Sちゃんが失踪した父を探している事を教えてくれた。

もうすぐ死ぬだろうから、葬式には呼んであげたいと言っていたのだ。

 

その時に私ができることは、何も無く、

ただ、お父さんが見つかるのを一緒に願うこと位だった。

 

Sちゃんの母が他界して、葬式までの間にSちゃんと話す時間が少しあった。

「誰も言わないだろうし、とても不謹慎だと思うけど、

あえて言うね。

Sちゃん、お疲れ様だったね。

ちょっとホッとしたんじゃ無い?」

 

Sちゃんは、小さく笑って

「うん、そうだね、ホッとした」

 

なんでそう言ったかと言うと、

それまでの苦労を知っていたからだ。

 

アル中の母と二人で暮らすのは、

どんな気持ちだったのだろうか?

突然怒り出したり、

突然泣き出したり、

突然凹んだり、

そしてある時は、刃物を振りかざす。

 

母親であって、母親では無いその人と、

一つ屋根の下に住んでいるのは、

どんな気持ちだったのだろうか?

 

20代の女の子が喪主を務めたお葬式には、

願い虚しく、父の姿は無かった。

私は涙を流すことも無く、

ただ、呆然とお葬式に出席していた。

 

思い出すのは、

後悔だけで、

それは、Sちゃん母が意識を無くす前日に、

Sちゃん母を交わした会話。

 

目の辺りが腫れてアイスノンで冷やしていたSちゃん母の病室を訪れた時の事。

私「大丈夫?目、どうしたの?」

S母「え?誰?なーんだどどちゃんか!」

私「なんだとは何よ(笑)」

S母「まあ、あんただとは思ってたわ」

私「そお?それよか、ダメじゃん!入院なんかしてきたら!

ちゃんと健康管理して、長生きしなくちゃ!Sちゃんが・・・」

S母「Sちゃんが一人になっちゃう。でしょ」

 

ふと、確信を突かれ、それ以上言葉が出なかった私だった。

今なら、言える。

「Sちゃんは一人でも生きていけるけど、私がおばちゃんに死なれたら寂しいの」

 

一人ぼっちで寂しいのはSちゃん母だったのだ。

Sちゃんは、別に寂しくも無かったはずだ。

解って居たけれど、

口から出たのは、そんな世間体を気にした、

薄っぺらい内容を無駄な正義感でコーティングした様な

なんの意味も無い言葉だったのが、

今でも悔しい。

 

人は突然居なくなるから、

最後に交わす会話は、

自分の気持ちに忠実で居たいし、

他人を介した遠回りな話よりも、

自分と相手、

直接的に魂に語りかけたいと思う。

 

Sちゃんは、その後、お父さんと再会。

お父さんの事実婚の相手である「お嫁ちゃん」とも仲良くなり、

お母さんのお墓参りにも皆んなで行っている。

 

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